チャンツィー Zhang Ziyi
チャン・ツーイーは、幼いときから体がとても小さくて細く、「丈夫な子供に育って欲しい」という母親の勧めで体育学校に通うようになりました。
しばらく体操を学びましたが、先生の提案でダンスを習うこととなりました。彼女が8歳の頃だそうです。
3年後の1990年、ツーイーは北京舞踏学院付属中学に入学し、以後6年間、本格的にダンスを学ぶこととなります。
だから彼女は激しいアクションもできるんですね!かわいいチャンツィーは私大好き!大ファンです。リンクフリー
初恋のきた道
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伝統と自由 |
「初恋のきた道」という題名で拒否反応を示す人が多そうですが、原題は「我的父親母親(私の父母)」
確かにラブストーリーを中心に進んでいきますが、この映画全体が投げかけるテーマは「伝統と自由」ではないかと思います。
娘は、「建設現場には若い女が食事を運ぶ」という村の伝統を利用して、先生に恋心を伝えようとします。
映画はそういった「伝統」や「形式」にまつわるエピソードを繰り返し繰り返し見せていくことで、伝統や形式が、真心を表現する、言葉以上に有効な手段であるということを語っています。
特に先生の葬儀はそのクライマックスでしょう、
教え子たちは遠くからはるばるやってきて、誰が言うともなく、伝統にのっとった葬儀を執り行います。
息子は、教え子達がどれだけ父を慕っていたのか、母がどれだけ父を愛していたのかを、葬列を見て実感し、感動するのです。
現実には、物語の舞台である当時の中国は、伝統というよりむしろ因習に縛られ、この物語にあるような心の自由はなかっただろうと思います。
一方、現代中国は開放され、多くの人が自由を手にした反面、人々は「伝統」という共通の言葉を失って、孤独に陥っているだろうと想像できます。
この村は架空の理想郷なのです。自由がなくても、伝統がなくても、この物語は生まれなかったでしょう。
これは監督が理想とする未来の中国かもしれませんし、この作品の後、「HERO」で様式的な時代物を手がけた心境をうかがわせるものかもしれません。
息子が父の教科書(古典?)を、村の学校で朗読するラストシーンには、伝統と自由が、次の世代に受け継がれていってほしい・・というメッセージを感じます。
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チャン・ツィイーかわいい! |
チャン・イーモウ監督も、チャン・ツィイーも大好きだったので観てみました。
これ、チャン・ツィイーの初主演作品だったのですね!
HEROやLOVERSなどの色彩豊かな映像を想像していたのですが、全く違いました。
それでもやはりチャン・イーモウ監督らしい撮り方だな、と思いました!
ストーリーの方は、特に心に残るものではありませんでした。
むしろ、ツィイー演じる女の子がストーカーのようにも思えました…。
主演女優が別の方だったら、全く違う作品になっていたと思います。
ツィイーが演じたから、こんなにいい作品に仕上がったのですね。
監督または女優のどちらかが好きな人、特にどちらも好きな人は、楽しめると思います。
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愛することの原点 |
人を愛するとは、どういうことなのか?
この映画を観ると、そんなクサいセリフは意味がなくなってしまう。
生涯、たったひとりの人だけを見つめ、想い続けること。
そういう相手にめぐり逢えることにまさる幸福はないのではないかと、
今更ながらのように、思いを馳せてしまった。
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素朴だけどひたむきな恋 |
18歳のチャオ・ディは、村一番の美しい娘。ある日、町から20歳の若者ルオ・チャンユーが教師として赴任してきた。ルオに一目ぼれしたディは、手作りの料理でもてなしたり、彼に会いにわざわざ遠くの井戸まで水を汲んだりと、一途な想いを伝えようとする。やがて2人の間に恋心が芽生えるが、ルオは急に町に呼び戻されてしまう。・・・
のどかな田舎に暮らす娘の初恋の話、というだけなのに、何でこんなにもあたたかいんだろう。それは、恋する少女の喜び、切なさをチャン・ツィイーが愛くるしく生き生きと演じているからだと思います。目が合うだけで嬉しくてもじもじしたり、思い出の品々がかけがえのない宝物になったり。自分にも覚えがあることなので、「あぁ、わかるなぁ」と何度も頷いてしまいました。
田舎の風景も、色彩が実に豊かできれいでした。素朴だけど、思わずはっと息を呑むほど神々しくて、ストーリーを引き立てていました。それと、あの胸を締めつけるような切ない音楽も、この映画の魅力の1つです。中国独特の音色が奏でる、あまりに切ない旋律に泣かされました。


